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categorymemo

20090802

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「 ゲーム音痴 」

まずは、誕生日おめでとう、私。
今日は実は誕生日でした。

で、ゲームが苦手な私。
分かってはいるけど、全然だめっぽいですw
リズムゲームとかボタンを覚えてないので、間に合わなかったり。
薬の副作用で反応が無茶苦茶だったり。
最後に家庭用ゲーム機に触って何年たつかなぁ…。
高校前だから、中学生…。つまりもう8年以上私は家庭用ゲームをまともにやってない!
そんな私がPSPを上手に扱えるわけなく。
弟が余裕でやっている隣で必死にやっています。
なにごとも結果が出ないとモチベが維持できないタイプなので、PSPのDIVAも中々進まない現状。
スタンダードは取れるんだけど、グレイトが取れない、toudouです。

続きは、昨日の話題。
「 在ること 」について。
独自論理、経験論、喪失論、全開ですので、書いてあることに責任は持ちますが。
それで相手がどう思うかについては責任を負いかねますので、ご注意を。




「 在ること 」

ややこしい言い方になるが、私の日常というのは、世間でいう非日常である。
非日常が日常で、私の感覚は価値観は常軌を逸している。
そして、そのことに気がつきながら、そのことを日常側に合わせようとしない私はさらに常軌を逸している。
「存在する」、ということは、「生きているということ」ではない。
辞書で引く意味がこの世のすべてではない。
辞書は編纂者の主観をまじえたもので、辞書によって同じ単語でも意味、いや、単語の説明は全く違うものが存在する。

「存在する」ということは、「他者が、自分が何かを認識すること」だと私は考える。
例えばだ。
お祭りがあったとしよう。
そのお祭りは開催された。しかし、誰にも気がつかれなく終わってしまった。
この場合、お祭りは存在したのだろうか?
答えは「存在した」
なぜなら、他人にとっては「存在してないお祭り」でも主催者、関わった人々にとっては「存在した」からだ。
例えば、どこかの学校祭。
私たちが把握してないところで、あちこちでお祭りはされているだろう。
そうして「認識」されて「存在」している。

では、自他ともに「認識されない」で、「在るだけ」のものは「存在している」のだろうか?
そこに在るだけ、居るだけということは実は身近に存在する。
それを私は「境界線」と呼んでいる。
ボーダーラインを言ってもいいと思う。
一度跨いでしまったら、もう後戻り出来ないライン。
「日常」と『非日常』を隔てる境界線。
一度、『非日常』へ全身を浸からせてしまえば、そこから日常への回帰はほぼ不可能である。
というか、私は無事に戻れた試しがない。
これはあくまで私の経験則だ。
非日常に片足を突っ込むだけなら、誰だってある。
それは「ハレの日」つまり、お祭りだって非日常だから。
しかし、それが毎日起こってしまう環境だったら?
そんな異常な事態が毎日起こりうる環境を当たり前だと、そう感じるようになってしまえば?
私にとっては、日常とは、それこそが非日常で珍しいことだ。
逆に非日常が私の当たり前で、日常だった。
今の私は一度死んでいる。
生きながらにして私は私という存在を一度殺した。
殺したのかどうかも分からない。
殺されたのかもしれない。
自殺したのかもしれない。
正直、記憶が曖昧な私に知るすべはない。
だけど、私は5年前あたりに一度死んでいる。
それは間違いない。
経験が零になり、記憶も限りなく零になり、そうして5年間分だけの蓄積で今を生きている。
死ぬことで私は非日常を脱したようにも思えるし、抜け出せてないようにも思える。
微かな記憶が言っている、お前はこちらの人間なのだろ?と。
こちら側(非日常)の人間があちら(日常)にいけるわけがないだろう?馴染めるわけないだろう。と。
実際、私の人生経験が零になったせいなのか。
それとも境界線のせいなのか、私は生活に馴染めてない。
非日常に私は「在るのか」?
それとも、日常に「在るのか」?
どちらに居るのか、よく分からない。かつては間違いなく私は非日常の住人として在った。
そうして、生きてきて、それが当たり前だった。
きっと今の私は非日常にありながら、片足を日常に乗せている不安定な状態なのだろう。

よくドラマに憧れるヒトがいる。
あの感覚が分からない。
なぜ、今の日常にいることに感謝し満足できないのかがわからない。
日常とは、私にとっては得難いもので、尊いのだ。
それなのに、それを享受する権利を放棄してまでドラマのような非日常に憧れる?

疲れたので、続きはまた明日か、後で。久々にこれを纏めた奴をpageとして挙げるかもしれません。
今、思うんだが、誕生日に書くような内容かこれ...。
やっぱり自分は常軌を逸している気がするなぁw
 









        
 
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